『自助論』—天は自ら助くる者を助く—
1.サミュエル・スマイルズとは?
サミュエル・スマイルズはイギリスの作家、医者です。サミュエル・スマイルズが書いた『Seif-Help』は一般に『自助論』として知られており、明治期においては中村正直が『西国立志編』として訳し、福沢諭吉の『学問のすすめ』に並び、日本の精神的な支柱になりました。実際にこの本は明治時代終わり頃までに100万部を売り上げました。
(ちなみに『学問のすすめ』の売り上げは340万部です。)
中村正直は幕末留学生の監督役としてイギリスに行った方であり、「なぜイギリスが発展したのか」というのを学ぼうとします。しかし、今一つ理解しきれなかったまま帰ろうとした時に、帰り際に友人に「この本を読むと良い」と渡されたのが自助論でした。イギリスから日本へ帰ってくる何ヵ月もの間、中村正直はこの『自助論』を何回も読み込み、イギリスが発展した理由を悟ります。
こうした中村正直のエピソードからスマイルズの『自助論』の思想の高みが分かります。「天は自ら助くる者を助く」という有名な言葉が有りますが、実はこの言葉は自助論の序文に書かれているものであり、こうした精神は日本に強い影響力を与えました。
『自助論』の内容としてはそのタイトルの通り、「家庭環境や学歴が悪かったり、貧乏であったりしても、本人の努力次第で道が拓ける」というような考え方です。
スマイルズは300人以上の欧米人の成功談を『自助論』に収めました。その中には私たちが知っている人はいるものの、その大半は知らない人ばかりです。しかしだからこそ、何か特別に才能が無い人であっても成功を収める事が出来るという点が分かります。
本書の『自助論』は東大名誉教授の竹内均さんが訳されたものであり、300人以上の体験談から時代にそぐわないものなどは削られて読みやすいように作られているものです。
2.スマイルズの思想
『自助論』に書かれてある内容としてはそれぞれの成功談なのですが、スマイルズはそれぞれの話の特徴や見習うべき点を整理した順序で紹介します。
自助の精神としてスマイルズはどういった点において努力すれば良いのかを言います。それは9点あり、忍耐、チャンス、仕事、意志と活力、時間、金、自己修養、出会い、信頼です。
忍耐……スマイルズはイタリアのことわざ「ゆっくり歩む者の方が息長く遠いところにまで進んでいける」を引用して、努力が実を結ぶには忍耐が不可欠だと考えました。
さらにカーライルが書き上げた『フランス革命史』の第一巻の原稿を下女が間違って焼いてしまったにも関わらず、一から書き直したエピソードを紹介して、忍耐と固い決意の大切を語ります。
チャンス……スマイルズは観察の大切さも挙げます。というのもスマイルズはチャンスはいつでも手に届く範囲に有るものの、人がそれを気付いていないだけと考えるからです。スマイルズはニュートンの例を出し、ニュートンが万有引力を閃いたのは、長年の思考と研究、努力があったからでるとし、普通の人が見たらただリンゴが落ちただけの現象に意味を見出した事を賞賛します。
仕事……スマイルズは同じく才能が有ったにも「ただの人」と「頭角を露わす人」の違いは何かについて、持続的な努力であると断定します。すぐに才能を現してしまって、ちやほやされた結果、名声が長続きしなかった絵描きを紹介して、仕事を粘り強く一歩一歩進める事の大切さを説きます。
意志と活力……「意志のあるところ、道は開ける」としてナポレオンやザビエルの例を挙げ、使命感に燃えて生きる事の素晴らしさを語ります。
「数多の困難と忍耐強く闘って勝利を得た者や、足から血を流し体の自由がきかなくなっても勇気という杖をついて歩き続けたりする者を見るほど、われわれが励まされる美しい光景はない。」
として成功に必要なのは才能ではなく、努力と決意であるとします。
時間……今日為すべきことを明日に伸ばすな、とスマイルズは時間が財産であるとして、一日のうち、一時間と言わず、十五分だけでもいいから自分の向上に使ってみよと言います。また、「最短の近道はたいていの場合、いちばん悪い道だ。だから最善の道を通りたければ、多少なりとも回り道をしなくてならない」というベーコンの言葉を引用して、焦りやまぐれの成功を戒めます。
金……人間のすぐれた資質のいくつかは、正しいお金の使い方と密接な関係を持っているとして、金儲けや貯蓄、支出の管理、金銭の貸し借りなどの在り方を見れば、その人の人格の完成度が分かりますと言います。また、職業に貴賤は無いとして、どんな職業でも一生懸命に働くことの尊さを語りました。
自己修養……詩人バークの言葉にはこんな言葉が有ります。
「困難と闘いながら、人間は勇気を高め、才能を磨き上げていく。われわれの敵は、実はわれわれの味方なのだ」
スマイルズは一見、困難や苦悩に見える事も、しかし人格の完成、自己修養には不可欠なものとして肯定します。
その考え方は火をくぐり、水をくぐって、鎚撃たれる事で刀剣が出来上がるのを連想させます。
出会い……スマイルズは誰と付き合い、誰を師にするか、そういった人間関係の影響は絶大であるとします。そのため、「良き友と交われ、さもなくば誰とも交わるな」「つまらぬ友と付き合うくらいなら一人でいきよ」などの言葉を紹介し、悪い人たちと付き合う事を戒めます。
この辺りは仏陀が「愚かな人を友とするな。そうするくらいなら犀の角の如く、ただ独り歩め」と語っている事と似ていますね。
また、逆に良き友と付き合えば必ず良い影響を受けるとし、人格者と付き合えとスマイルズは言いました。
信頼……誰もいないところでナシを盗まなかった少年がその理由を問われてこう答えました。
「いいえ、そこには人がいました。僕が自分の目で見ていたんです。僕は自分が悪いことをするところなんて見たくはありませんからね」
このような例を挙げて良心、誠実さ、信頼の大切さを伝えます。そしてこのような立派な人格は、習慣によって出来上がるとします。「習慣は第二の天性」であり、「立派な習慣を身に着けるよう気をくばるのが、いちばん賢明な習慣」であるとしました。
3.終わりに
以上のスマイルズの考え方は『自助論』の内容でも微々たるものです。もっと沢山の多くの学びが『自助論』の中には有ります。
そこで改めてスマイルズの思想の核部分もまとめておきたいと思います。
一点目は人間の可能性についてです。努力すれば人間は向上への道を歩めるとしました。そこには人間を小さく見るのではなく、無限の力を持った存在としての人間観が根底にあります。そして大事なのはスマイルズが過程としての努力を大切にした事です。努力が人格の陶冶に繋がるという考え方は、本田静六の「努力即幸福」の境地に近いものが有ると思います。
二点目は「習慣は第二の天性」という言葉です。習慣が人間をつくり、成功の本道をつくるという事をスマイルズは『自助論』で伝えました。継続は力なりであり、積み重ねがやがて大きな力になるというのは、ある意味でスマイルズが生きた産業革命後のイギリスの繁栄の精神が窺えると思います。
三点目は言い訳の廃止です。一点目、二点目の考え方からは、愚痴や言い訳は非生産的なものであり、人格向上に繋がらないものであるという考え方が出てきます。口にこそ出さないものの心の中では愚痴や言い訳をする人は、意外と多いのではないかと思いますが、そんな時はスマイルズを思い出してみてください。
以上が、私なりにまとめたスマイルズの思想の核です。
最後に私が一番記憶に残っている本分を引用したいと思います。
それはウィルキーという絵描きについてです。
ある時は友人のコンスタンブルにこんな話をした。ウィルキーのスコットランド美術院在学中、当時のグラハム学長は画家レーノルズの次の言葉を生徒に好んで聞かせたという。
「諸君が天性の才能に恵まれているなら、勤勉がそれを高めるだろう。もし恵まれていないとしても、勤勉がそれにとって代わるだろう」
「だからこそ」とウィルキーは続けた。
「私は精一杯努力しようと決めたのだ。天分に恵まれていないことくらい、自分で百も承知していのだから」
私はこの部分が一番好きなのですが、他の皆さんはどうでしょうか。
ぜひスマイルズの『自助論』を手に取り、一番好きなエピソードを教えてくださると私も嬉しいです。
*1:ウィルキーは
『後世への最大遺物』—内村鑑三の思想—
1.『後世への最大遺物』とは?
『後世への最大遺物』とは日本のキリスト教思想家、文学者である内村鑑三が、キリスト教の学校の開設の際に述べた講話を小冊子にしたものです。
内村鑑三の名前は内村鑑三不敬事件や無教会主義を唱えた事で聞いた事が有ると思います。
2.内容と中身
内村鑑三は「人が後世に対して残せるものはなんでしょうか」と問いかけます。
そして次々と皆が思い当たるものを挙げていきます。
その第一がお金です。内村鑑三は決して富を否定せず、むしろ「金を遺すものを卑しめるような人はやはり金のことに卑しい人である」とします。
これは確かにその通りだなと思います。「お金なんか大切ではない、とかお金よりもっと大切なものがある」と主張している人の中には、高潔な精神から本当にお金より大切なものを見出せる人もいる一方で、本当はお金が欲しいのに、虚飾を被って自分がお金持ちになれないからお金持ちを批判するような人も一定数いるように感じられます。
内村鑑三は富を集めるという事は、「これは非常に神の助けを受け取る人でなければできない事である」とします。ここら辺は流石プロテスタントの一派であるメソジスト派であるなとの印象を受けます。
次にお金を後世への遺物とするならばお金を貯める事だけではなく、使う事も大切であるとします。これは即ち、事業という形になります。単にお金を貯めて子々孫々が使えるように、あるいは寄付をするよりも、事業として継続性を持たせる事がより後世への遺物になると考えました。というのも、お金に利息が付き、どんどんなってくるように、事業も段々大きくなってくるからです。
しかし、内村鑑三はこうも問いかけます。お金を貯める才能、お金を使う才能、事業を打ち立てる才能、事業を起こせるだけの社会的な地位が無い時はどうしたら良いのだろうかと。
そうした人は思想を遺す事が出来ると内村鑑三は説きます。この思想を遺すという事に関して内村鑑三は著述をする事と教育の二つに分類します。『後世への最大遺物』はあくまでも講話ですので時間的関係上、内村鑑三は前者に関してしか述べません。
内村鑑三は『聖書』を始めとしてジョン・ロックの『人間知性論』、頼山陽の『日本外史』などを例に挙げ、思想を書物として残す事の偉大さを語ります。
そしてカーライルの「何でもよいから深いところへ入れ、深いところにはことごとく音楽がある。」という言葉やバンヤンの「私はプラトンの本もまたアリストテレスの本の読んだことはない、ただイエス・キリストの恩寵に預かった憐れなる罪人であるから、ただわた思うそのままを書くのである」という言葉を引用して、文法や技術論はともかくとして、心のままを記せばよいと言います。
しかし、内村鑑三は再び問いかけます。お金の才能も、事業を成す能力も、思想を遺せない人はどうしたら良いのだろうか。もしそれらができないならば、後世に何も遺せないのか、平凡の人間として消えてゆくのかと。
否、と内村鑑三は力強く言います。
誰にも遺す事のできる遺物が有り、しかもそれは最大遺物であるものがあると言うのです。
お金、事業、思想。これらが最大遺物となり得ない理由として、誰に当てはまらないという点、結果が必ずしも良いものに限らず、害になる事も有り得るという点のに2点を挙げます。
それでは内村鑑三が指した後世への最大遺物とは何でしょうか。
それは勇ましい高尚なる生涯です。この勇ましい高尚なる生涯とは、世界は決して悪が優勢な世の中ではなく、神が支配する世の中であるという事を信じる事です。その希望や歓喜を生涯に実行し、その生き方を世の中を後世への贈物としてこの世を去れる事です。
偉人の生涯を思い浮かべてみてください。
例えば二宮尊徳(金次郎)。母が亡くなり、貧乏生活の中、祖父に預けられた尊徳ですが、その尊徳が夜に読書をしていると、祖父に「燈油の無駄使い」として禁止され、しばしば罵られました。そこで二宮尊徳は自分で菜種油を取って燈油を手に入れました。
しかし、祖父はまた尊徳に言います。「油が自分のものあれば本を読んでいいというわけではない。お前の時間も私のものであるから、空いた時間が有るなら仕事をしろ」と。そこで歩きながら本を読めば文句はないだろう、という事で皆も知っている二宮金次郎像になったわけです。
(ちなみに正確には薪を背負いながら、勉強した内容を暗唱していたそうです。)
こうした二宮尊徳の生き方は、決して思想のような纏まったものではないけれど、しかし私たちの心に確かに訴えてくるものが有りますよね。
大多数が間違っている中で正義を貫いた人、先天的あるいは後天的に病気などが有りながらも強く生きた人、人々への愛のためにそれまでの自分の地位を投げ打った人。
歴史を紐解けば数多くそのような人物が見られます。
偉人と呼ばれる人はその業績や結果に目が行きがちですが、しかしその本質はその精神であり、その精神こそが後世への最大遺物として残るのです。
そして重要な事は、その精神は誰もが残せるという事に有ると思います。
3.内村鑑三の生涯
内村鑑三は「内村鑑三不敬事件」等で知られている訳ですが、内村鑑三は決して日本を否定したいわけではありません。
内村鑑三はキリスト教徒に目覚めた後、二つのJに使える決意をしています。二つのJとはイエス(Jesus)と日本(Japan)です。加えて内村鑑三の墓碑銘には「我は日本ために 日本は世界の為に 世界はキリストの為に そしてすべては神のために」という内容の英文が刻んであります。
不敬事件で批判を受けたり、離婚の経験や再婚した妻の死亡、愛する娘の夭折などを経験した内村鑑三。
しかし、その内村鑑三は自分を非難した日本を非難せずに日本に尽くし、また襲った不幸に対しても懸命に耐え、墓碑にあるような言葉を残しています。
そこに内村鑑三の高邁な精神が読み取れると思います。
後世への最大遺物としての勇ましい高尚なる生涯。
皆さんは既にこれをしたいなどの夢やこう行きたいという思いが漠然とでもあると思います。その中に人生の生き方としてこの勇ましい高尚なる生涯を遺すという事も考えてみてはいかがでしょうか。
『平和の地政学』—スパイクマンが語るアメリカ戦略—
1.スパイクマンとは?
本書を書いたスパイクマン(1893~1943)は、アメリカの政治学者、地質学者です。
スパイクマンはリムランドの概念を提唱したことで有名です。
リムランドとはユーラシア大陸の沿岸部に沿ったエリア、陸と海の両方に接する地域です。その範囲は広大で、東アジア、東南アジア、インド、アラビア半島、西欧と、ロシアを覆うような地域全般を指します。
マッキンダーが、ハートランド地域が資源豊な国として「ハートランドを制するものが世界を制す」としたのに対し、スパイクマンは、ハートランド地域は資源豊かであろうとも未開発であり、さらに住居に適していないとし、人口が集まりやすく、また貿易も盛んになりやすい沿岸地域に注目しました。
マッキンダーの言葉をもじって「リムランドを制するものはユーラシアを制し、ユーラシアを制するものは世界の運命を制する。」という言葉を残しています。
マッキンダーがハートランドを制する国家からイギリスをどう守るかを、
マハンが海洋国家アメリカをどのように覇権国にするかを考えていたように、
スパイクマンもこのリムランド理論を中心にアメリカの政策をどのようにすれば良いのかを考えました。
2.スパイクマンの思想の前提
国際政治は主権国家という単位が独立して存在している状態です。個人においては罪を犯したら国が刑を負わせます。しかし、国際政治においてはそうした国に当たるような強制権力が存在しません。そうした現状をスパイクマンは冷静に受け止め、「安全保障の最終的な責任は各国家自身にあるという事実は変わらない」として、軍事力は国家の生き残りと、より良い世界の創造のために不可欠な道具だとみなしました。
スパイクマンは平和への道として、各地に住む人々が似たような価値観、争いを産まないような価値観を持った「世界国家」の成立か、あるいは国際連盟、国際連合のような集団安全保障体制を作る事の2点を可能性として挙げますが、前者の「世界国家」に関しては到底遥かな先の未来であり、第二次世界大戦後の処理に到底適用できるような考え方ではないと一蹴します。また、後者の安全保障体制に関しても、「参加している国家が約束された義務を果たすために本当に戦争をする意志があるのかどうか」という点に左右され、さらに核大国の国益の計算により左右されることになると考え、結局は最終的にパワーが大切になると、非常に現実的な考え方をしました。
(スパイクマンはパワーを単なる軍事力だけではんなく、国土の規模、天然資源、人口、経済力など様々な要素を含めたものとしてみなしています)
3.スパイクマンの思想
スパイクマンの思想は一体どのようなものなのでしょうか。
3点ピックアップします。
①まず、スパイクマンの思想として特徴的なものはアメリカという「新世界」とヨーロッパなどの「旧世界」という概念を対比させている事です。そしてアメリカ大陸がユーラシア大陸を始めとする国々から囲まれてしまうという恐怖からアメリカの二大潮流である孤立主義と介入主義のうち介入主義を採用すべきだと提案します。
一体これはどういう事でしょうか?
実はアメリカの2.5倍の広さと10倍の人口を持つユーラシア全体の潜在力が将来アメリカを圧倒する可能性があると、スパイクマンは危機感を抱いていたのです。
だから平時・戦時を問わず、ヨーロッパとアジアでのパワーの状況に目を光らせていなければならないとしたのです。より具体的には言えば、均衡状態の達成と維持です。
②スパイクマンはこれまで自然要塞であった太平洋と大西洋に関して、「防波堤ではなく、むしろ高速道路」であるという見方をしました。これは技術進歩により、今まで他国が攻め入るのを防いでいた海が、障害物のない海へと変わり、むしろ都合の良いルートになったという事です。これがアメリカの孤立主義を批判した理由でもあります。
③また、過去の戦争、ナポレオン戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦を見てみると、イギリスとロシアが手を結んで、それぞれナポレオン、ヴィルヘルム二世、ヒトラーと戦っていたして、必ずしもマッキンダーのように歴史を「ランドパワーとシーパワーとの戦い」ではないとし、リムランドがハートランドとシーパワーのバッファーゾーン(緩衝地帯)になると思うと同時に、力のぶつかりう紛争地域にもなりやすいのではないかと考えます。
これを踏まえた上でスパイクマンは、リムランドがハートランドを抑える役割として機能させると同時に、リムランド国家の力が強力になりすぎないようにするべきだと提言します。
そして本書の終わりにスパイクマンは、アメリカの国益のためにはアメリカ、イギリス、ロシアの三国が互いに協力するのが最高の利益となると言いました。アメリカやイギリスなどの海洋国家は本質的に他国と分断されており、ロシアにおいてもリムランドからは離れていて世界から孤立しているという状況だったからです、三ヵ国ともそれぞれ単独で行動しきるほどの力は持たず、しかも地理的にはリムランドから孤立しているという状況だったのです。
(ちなみにこれは皆さんも知っている通り、戦後は冷戦となり、現実にはそのようになりませんでした。)
4.現代に生きるスパイクマンの思想の可能性
スパイクマンは第二次世界大戦後の予測として「多極世界になる」「米英露の協力」をしましたが、そうはならなかった、というのが皆さんが抱いた感想だと思います。
しかし、翻訳者である奥山真司さんの解説に書かれてあるように、スパイマンの他の予測、「依然として主権国家が存在し続ける事、ロシアが脅威になる事、ロシアと中国が国境争いを起こす事、インド・中国がそれぞれの地域で支配的な国家になること、リムランド内部で紛争が起こること」などは正しかったと言えるでしょう。
またこんな事も解説に書かれています。
「日本に関することで注目すべきことは、なんと言ってもはスパイクマンが戦時中に同盟国であった中国(国民党)ではなく、アメリカは戦後、日本(とドイツ)と組まなければならないとした発言していることだ。……この発言が真珠湾攻撃が行われてまだ一ヵ月もたっていないうちに行われたものであることを考えると、まさに驚くべき先見性であると言ってよい。
スパイクマンの先見性は凄まじいですね。
スパイクマンの卓越した意見は、現代でも生きています。主権国家が存在する現状、インド・中国の台頭、日米安保条約など、スパイクマンが示した枠組みは輝きを放っています。
スパイクマンはアメリカ戦略を考えましたが、このスパイクマンの考えを生かして、日本戦略というものを考えられると思います。
また、個人的には安全保障体制に関して、「参加している国家が約束された義務を果たすために本当に戦争をする意志があるのかどうか」という点が今後の課題になってくると思います。スパイクマン自身は後のNATOに繋がるような発言もしているとはいえ、NATOのような集団安全保障体制は、しかしその加入国が増えるにつれて機能しなくなり、むしろ戦争の原因になるのではないか、というのが論点として有ります。
冷戦時代に合わせて結成されたNATOは当初の目的を果たした今、抑止力としての側面が大きいですが、本当に戦争をする気が有るのかという点についてまだまだ深掘りされておず、加盟国同士の利害関係のしがらみが大きくなっているように思います。
皆さんは一体どう思われるでしょうか?
『海上権力史論』—海洋国家、日本の進む道とは—
1.『海上権力史論』とは?
『海上権力史論』とはアメリカ海軍の軍人、歴史家、戦略家であるアルフレッド・マハンが書いた本です。マハンはマッキンダーと並ぶ地政学の学者であり、マッキンダーがランドパワーを重要視したのに対し、マハンはシーパワー、つまり海の戦力を重要視した人です。具体的には商船隊、海洋拠点や港、海軍力の拡大が重要だと考えました。
こうしたマハンの考え方の影響を受けた人として、アメリカのセオドア・ルーズヴェルト、ドイツのヴィルヘルム二世、日本の秋山真之などがいます。
2.マハンがシーパワーを重要視した理由
その理由として2点有ります。
1点めが防衛の観点からです。海洋国家は周りが沿岸に囲まれているおかげで、国を守るためには海上で戦うだけで済みます。それに反して大陸国家では、陸伝いになっている隣国と緊張状態になりやすく、沿岸から攻められる可能性も考慮しなければなりません。基本的に海軍力に集中すれば良い海洋国家に比べて、大陸国家では戦力の集中がしにくいと考えたのです。
日本の鎖国を考えると分かりやすいと思います。日本は海外に目を向ける必要が無く、安穏とした日々を過ごせていましたよね。
2点めが歴史的経緯からです。過去の覇権国を調べてみると大航海時代をきっかけに海洋国家が植民地を得やすく、栄えやすいと考えました。その卑近な例は「太陽の沈まない国」として有名なスペイン帝国とイギリス帝国です。だからこそ、マハンは「世界の海を制するものが世界を制す」としました。そして、イギリス帝国の次の覇権国としてアメリカの海洋国家の大国として登場してくるだろうと予測しました。
(アメリカは地政学的には半島、海洋国家としてみなされます。)
3.マハンの思想の展開
マハンはただ単に海軍力としてのシーパワーではなく、商船隊や港なども重要しました。例えば、現在の日本の輸送に関して99.6%が海上輸送であり、残りの0.04%が航空輸送です。
マハンの時代に比べると航空技術が発達している現在でも、海洋国家における輸送は基本的に海を通してであり、海の重要性が分かります。また、陸上輸送と比べて海上輸送ははるかに効率が良く、日本の超巨大コンテナ船一隻は、10tトラック約1万9千台または約貨物列車290編成分に当たります。
こうした便利な海上輸送ですが、逆に考えれば、海上輸送を断たれてしまえば壊滅的な状況に陥ります。だからこそマハンはシーレーン、貿易や有事の際に戦略的重要性を持つ海上交通路を確保しなければならないとしました。
この重大なシーレーンとしてはチョークポイントが有ります。チョークポイントとは戦略的重要性を持つ海上交通路の中でも、特に限定的な場所を指します。「ポイント」と名前が着けられている通り、点をイメージしてください。
主なチョークポイントはスエズ運河、パナマ運河、ジブラルタル海峡、ホルムズ海峡、ベーリング海峡、マラッカ海峡、バシー海峡、マゼラン海峡、バブ・エル・マンデル海峡、ダーダネルス海峡、ボスフォラス海峡などが有ります。基本的には海峡がほとんどです。というのも海峡は通路が狭くなっている関係上、そこの一点を抑えれば、自国にとって抑えやすく、他国にとっては船が通れなくできるからです。
このチョークポイントを押さえるのが各国の基本方針でもあります。
例えばジブラルタル海峡。ジブラルタル海峡は大西洋と地中海を結ぶ重要な拠点です。ジブラルタル海峡はスペインとモロッコとの間の海峡ですが、イギリスはイベリア半島側にイギリス領ジブラルタル領を、スペインはモロッコ側にスペイン領セウタを保有しており、軍港として使っています。
4.日本にとっては?
海洋国家である日本にとって重要視すべきチョークポイントは何でしょうか。
それは主にホルムズ海峡、マラッカ海峡、バシー海峡です。これら3つのチョークポイントは貿易、特に石油に関係しています。
ホルムズ海峡はペルシア湾とオマーン湾の間に位置する海峡であり、一日1700万バレルが行き交う場所です。
また、マレー半島とスマトラ島の間にあるマラッカ海峡は日本に向かう原油タンカーの9割近くが通過しています。ここは現在米海軍が抑えています。
バシー海峡はフィリピンと台湾の間にある海峡です。マラッカ海峡を通った船が、通最短ルートはバシー海峡ですので、バシー海峡を通れなくなると、わざわざ遠回りすることになり、輸送費がかさみます。
この三つは基本的には日本の生命線であり、ここを抑えられてしまえば、日本の資源は断たれてしまいしまいます。
また、ホルムズ海峡、マラッカ海峡、バシー海峡は基本的に中国を始めとする他の国と利害が重なっています。マラッカ・ディレンマのように中国がマラッカ海峡に抱える脆弱性は有名です。中国も日本と同様に原油輸入の8割がマラッカ海峡からのルートです。中国はエネルギー輸送ルートの多様化に躍起になって取り組んでいます。
こうした状況の中で、日本は笑っていられることは出来ません。
もし、マラッカ海峡を封鎖されてしまったら……。それは妄想ではなく、現実に可能性のある事なのです。こうした中で日本は自国の資源状況を鑑みて国際政治を渡り歩いていく必要が有るのではないでしょうか。
『マッキンダーの地政学』—日本人に欠けている地政学的思考—
1.そもそも地政学とは?
地政学とは国の特性や政策を地理的な要素から研究する学問の事です。
例えば中国が日本にとって地球の裏側に有ったとしたら、そもそも日本の政策に中国が関係してくる事は有りません。
そのように単なる国際政治の理論だけではなく、地理的な要素、地図から考える側面を重視した学問が地政学です。
『マッキンダーの地政学』とはイギリスの地理学者、政治学者であるマッキンダー(1861~1947)が著した書物です。
マッキンダーはユーラシア大陸の中核部分、簡単に言えば現在のロシア辺りをハートランドと名付け、「東欧を支配する者はハートランドを制し、ハートランドを支配する者は世界島(ユーラシア大陸とアフリカ大陸)を制し、世界島を支配する者は世界を制する」という言葉を残した事で有名です。
このハートランドの概念がマッキンダーの思想の上澄み部分部分です。
3.マッキンダーの立ち位置
マッキンダーはランドパワーの概念を提唱した地政学者として有名です。ランドパワーとは大陸国家が持つ力の事です。この力は例えば陸上輸送能力、エネルギー資源、食糧生産など様々な概念が含まれています。
対義語のシーパワーは海洋国家の事を指し、日本、イギリスなどを思い浮かべれば分かりやすいと思います。また、地政学上ではアメリカも海洋国家として扱われます。
マッキンダーは歴史をこのランドパワーとシーパワーの闘争の歴史だと考えました。
マッキンダーがランドパワー論を説いたのは、マッキンダーの問題意識が関係しています。ハートランド理論、つまりロシア辺りを抑えた国が世界を制するという思想は、しかしイギリス生まれのマッキンダーには厳しい現実でした。そこでマッキンダーはどのように大陸国家から海洋国家イギリスを守るかという事に焦点を当てていくのです。
4.東欧への注目/結論
ロシア辺りの地域を中心とするランドパワーの興隆に危機感をマッキンダーが抱いてた事は既に述べました。その延長線上にマッキンダーは東欧と西欧との対立にも目を向けました。
そもそも、西欧の人たちが他国の干渉を受けることなく、暮らしてきたのとのは根本的に事情が違っており、東欧の人はロシア、ドイツ、オーストリアの影響などを受ける環境下に有りました。その具体例としてロシアが東欧やバルカン半島などに干渉していた、ハンガリー革命、クリミア戦争、ロシア=トルコ戦争などが有ります。こうした事から東欧は西洋の一部であると同時にハートランドの一部であるとみなしました。
そして東欧と西欧との間の境界線はドイツ国内を通過しているとしました。
つまり、東欧がハートランドやランドパワーの国の支配下に置かれてしまえば西欧の国々にとってはとても危険であると考えたのです。マッキンダー的に言えば「一旦どこかの国が東欧およびハートランドの資源と人的資源を組織しようと試みた場合、西欧の島国とその半島に属する国々とは、事のいかんに関わらず、これに対抗する必要に迫られる。」という心構えが西欧の中には生まれていました、この点に関して、19~20世紀の百年余りのイギリス・フランス両国の政策はほぼ一貫性を保ってきたと言えます。
イギリスの例を挙げます。
ロシアは既にハートランドのほとんどを手に収めていました。そうしたロシアが次に出る行動はハートランドの外柄に出ていく事だと予測されます。
ロシアが外に出られるのはヨーロッパ方面では黒海のボスフォラス、ダーダネルス海峡を通ってのルートでした。その結果ロシアVSトルコ、イギリス、フランス、サルデーニャ王国などの戦いであるクリミア戦争が起きます。
他にロシアのルートとしてはアフガニスタンを通ってのルート、それから中国、日本などのアジアのルートが有ります。これらのルートの争いの為に、イギリスの動きはアフガン戦争や日英同盟に繋がっていくのです。
まさしくマッキンダーが考えた通りの争いの構図ですね。
マッキンダーは「過去の大戦争は、ことごとくヨーロッパの国際組織のなかで、ある特定の一国だけが強くなりすぎたことに起因している」としてルイ十四世やナポレオン時代のフランス、フェリペ二世時代のスペインなどを例に出して説明します。
「特定の一国だけが強くなりすぎたこと」とはただ単に軍備力だけではなく経済力や貿易関係も指します。他国との力関係が崩れてしまえば、それこそ東欧においてどこかの国が影響力を強めてしまって、その歪みが修正されないようであれば、いつか争いは起きてしまいます。
だからこそマッキンダーは勢力均衡を唱えました。
5.マッキンダーの教養の深さ
『マッキンダーの地政学』の副題は「デモクラシーの理想と現実」です。
一体これはどういう事なのでしょうか?
マッキンダーは民主制であるアテネやフィレンツェが機能したのは、住民が互いに知り合いっだった事、そして知的レベルにおいて差があまりなかった事を理由として挙げます。
一方で現代は都市と地方の人口のアンバランスさ、隣人と話し合う機会の減少など、地方の固有の価値や面白みを失ってしまったとします。
だららこそ、国家のなかの地域的なコミュニティを主な母体としなければならないとしたのです。それは生活を全体として見る目が養われるからです。
(家族というコミュニティの中にいると、自然と家族の中での自分の立ち位置や家族としてどうしていったらいいかを考えますよね。そういう事です)
また、デモクラシーにおいては多数派が為政者を選ぶ権利を持つので、既得権はますます社会に根を下ろしてしまうと指摘しました。そして労働者側も資本家側も互いの利益の拡大に固執し、近視眼眼的になってしまうとも説きました。
マッキンダーは地政学の祖として有名ですが、地政学という名前はマッキンダー自身が付けたものではありません。マッキンダー自身はランドパワーや民主主義の欠点に加えて、南北問題や人的資本の組織の問題など、現代の国際政治学者が対処しなければならないほとんどの問題を観点に入れて、平和と言うものを探究していったのです。
6.現代に生きるマッキンダーの考え
「東欧における領土の再編成にあたって安定を期するための条件は、国家群を二つではなく、三層のシステムに分けることである。すなわちドイツとロシアの間には複数の独立国家からなる中間の層があることが、どうしても必要である。」
「だからこそ世界の諸国が一つの組織に融合された今、この世の地獄に代わる唯一のものとして国際連盟を支持する世の理想主義達は、その全神経を東欧における国境の適正な配分にそそいでもらいたのである。改めて言えば、すなわちロシアとドイツのあいだに、どちらからも支配されない一連の真の独立国家群から成る中間地帯を形成することによって、その目的は達成される。」
2014年から始まるクリミア危機、2022年時点のウクライナの状況など、マッキンダーの思考を手掛かりにすると少しは見えてくるものが有ると思います。
『言論の自由—アレオパヂティカー』ー真理と虚偽とを戦わせよー
1.『言論の自由(アレオパヂティカ)』とは?
『言論の自由(アレオパヂティカ)』は17世紀の詩人であるイギリス人ジョン・ミルトンが著した本です。ミルトンは『失楽園』で有名ですね。
ミルトンが生きた17世紀のイギリスはピューリタン革命、名誉革命と革命の時代です。
『言論の自由』は英国国教会に対して長老派が支配権を握った頃に書かれました。ミルトンはピューリタンの一派である長老派が、一旦は廃止した出版許可法を復活させたのを見て、長老派も英国国教会とその本質は同じであるとして、長老派の宗教・政治的支配から、宗教・言論的自由を保障するためにこの本を書きました。
(ミルトンはピューリタンの一派である水平派のクロムウェルを支持しました。)
2.ミルトンが否定した論点
ミルトンは出版許可法に対して4つの観点から批判・検証していきます。
1点め……出版許可法を制定した人々は、そう制定するだけに足る人物ではない。
2点め……書物の種類を問わず、一般に読書に関して如何に考えるべきか
3点め……出版許可法は主として不埒な、扇動的な、誹謗的な書物を禁止しようとしたものであるが、その目的には全く役立たない。
4点目……出版許可法は人々の既に知っている事柄に関する能力を妨げて、それを鈍化させ、さらに宗教的・世俗的両側面からなされるであろうところの発見を邪魔する。
以上の4点がミルトンが出版許可法に対して反論したポイントでした。
3.説明①
「出版許可法を制定した人々は、そう制定するだけに足る人物ではない。」
簡単にいえば、出版許可法を制定する人々は、善悪や真理の視点から出版許可法を制定するのではなく、統治するのに都合の良い本は出版を許可し、統治するのに不都合な本は出版を許可しないとしてしまうという事です。
4.説明②
「書物の種類を問わず、一般に読書に関して如何に考えるべきか」
ミルトンは確かに悪い書物が有ることを素直に認めます。その一方で、悪い書物にも利点があるとします。
その利点とは一体なんでしょうか。
それは悪い書物を読む事で、悪なるものとは一体何であるかを学べて、論破し、警戒し、例証する事にも繋がるというのです。
さらに最も真実なるものに速やかに到達するためには、色々な意見を知ってこれを比較する事が助けとなると考えたのです。
「悪の知識なくして、どこに選択する智慧があり、どこに差し支える節制があるか。悪徳とその持つあらゆる誘惑と外観的の快楽とを理解・考察し、しかも節欲し、しかも識別し、しかも真によりよきものを選ぶことのできる人こそ、真実の戦うキリスト教徒である。」
5.説明③
「出版許可法は主として不埒な、扇動的な、誹謗的な書物を禁止しようとしたものであるが、その目的には全く役立たない」
ミルトンはこれに対し、様々な理由を挙げます。ここでは3点紹介します。
まず、既に出版されている書物一つ一つを検閲するというのは余りにも大変で現実的ではないと言います。(ちなみに日本は年間7万冊以上の出版点数です。)
次にその書物を出版していいかを決める検閲官が、そもそも聡明かどうかは分からないと挙げます。確かに頭が悪い検閲官では、そもそも理解をしてくれない場合もあるし、判断がその検閲官の信条や育ち方などに影響されますので、絶対的な基準で判断するのは難しいですね。
最後に、出版許可法が意図する不埒な、扇動的な、誹謗的なものの取り締まりの対象はその目的から考えるに、書物に限らず、例えば娯楽や遊戯、音楽等を始めとする人間の楽しみに及ぶ事になってしまうが、それは常識的に考えていけない事だ、とします。
以上から本来、目的していた悪書の追放というものは出来ないと主張しました。
6.説明④
「出版許可法は人々の既に知っている事柄に関する能力を妨げて、それを鈍化させ、さらに宗教的・世俗的両側面からなされるであろうところの発見を邪魔する。」
ミルトンは神はアダムに理性を与えた時に選択の自由も与えたとします。何故なら理性とは選択に他ならないからです。(とミルトンは主張しました)
そしてそうでなければアダムは操り人形になってしまう。本当にそれでいいのだろうかと、アダムが罪を犯した事を理由に神の摂理を非難する人たちに向けて強く主張するのです。
「単に牧師がそう言うからとしか、長老の最高会議でそう決まったからというだけで、それ以外の理由は知らないで物事を信ずるならば、たとえ彼の信ずるところは真実であっても、なお彼の信じる真理そのものが異端となるのである」
「誰かにそう言われたから」と言うだけで何かを信じた場合、例えその何かが真実であったとしても、それは価値あるものではないとミルトンは叫び、人間の選択による心理の会得、智慧の獲得を尊重しました。
出版許可法により残った本が例え善本であったとしても、それは価値に値しないとしたのです。
7.宗教・思想の自由競争
以上のようにミルトンは言論の自由を守る事に徹します。
ミルトンの思想は以下の言葉に集約されます。
「真理と虚偽とを組打ちさせよ。自由な公開の勝負の場で真理が負けたためしを誰が知るか。」
ミルトンは真理への絶対的確信が有ったからこそ、あらゆる思想を認め、勝負させていく事こそが最善の道であると考えていたのです。
M・ウェーバー『宗教社会学論選』ーウェーバーに関するもう一段の知識—
1.『宗教社会学論選』とは?
『宗教社会学論選』とはドイツの政治学者、社会学者であるマックス・ウェーバーが著した書籍です。
ウェーバーは『職業としての政治』『職業としての学問』『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』などで有名ですが、この『宗教社会学論選』は宗教意識と資本主義の関係をテーマにした論文の集まりであり、三つの論文と付録の「儒教とピュウリタニズム」が入っています。
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』では、資本主義の発生にプロテスタンティズムの精神的態度が関係しており、「予定説」と「天職」の概念がその精神的態度の理由だという説明はよくされます。
しかし、実はそれだけでは「何故西洋に資本主義が発生したのか」というウェーバーの疑問には答え切れていません。
この「何故西洋に資本主義が発生したのか」という問いは「何故他の地域に資本主義が発生しなかったのか」という問いに置き換えると納得しやすいと思います。
ウェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』ではカトリックやルター派とピュウリタニズムの比較をしているのですが、『宗教社会学論選』では儒教を中心にピュウリタニズムを比較していきます。
この『宗教社会学論選』の内容を学ぶ事で『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の理解がもう一段階深まります。
2.ウェーバーの宗教の位置づけ
「プロテスタンティズムの倫理が資本主義の発生の原因なんだ」という話はよくお聞きになると思います。そこでまず宗教意識と資本主義の関係について話す前提を確認しておきます。
そこで『宗教社会学論選』から引用します。少し長いですがどうぞ。
「いかなる経済倫理でも、ただ宗教によってのみ決定されている、というようなことはかつてなかった。むしろ経済倫理は、宗教的ないし、その他の「内面的」な諸要因によって制約されている人間の対現世的態度とは異なって、純粋に固有の法則をもち、かつての尺度は明らかに経済裡地理的なまた経済史的な諸事情によって高度に規定されている。とはいえ、生活様式が宗教によって規定されるという面が経済倫理の決定的要因の一つ—ただ1つにすぎないことに注意—となっている、ということもまた確かである。」
ここでウェーバーが言いたい事は2つあります。
1つめは宗教意識が重要な要因であるということ。
2つめは、だからといって宗教意識1つだけが経済倫理を決めるというわけではないということです。
ウェーバーはあくまでも宗教以外にも色々と影響する事柄は有るとしつつも、宗教が大きい要因となるとした、1つの視点に偏らないバランスが取れた見方をしていたのです。
3.「儒教とピュウリタニズム」
遅くなりましたが、ウェーバーが比較した儒教とピュウリタニズムの内容を紹介していきます。
ウェーバーは両者に資本主義の精神の萌芽を見つつも、結局儒教はその芽が伸びる事は無かったとしました。
その原因は神観と人間観、罪の意識、能動性と受動性、魔術化と脱魔術化の差など多岐に渡ります。
儒教とピュウリタニズムについて比較したのを図にまとめてみました。
儒教 | ピュウリタニズム | |||
人間観 | 人間の本性を肯定 | 人間の本性を否定 | ||
(原罪) | ||||
罪の意識 | ない | ある | ||
能動性 | ない | ある | ||
魔術化 | 魔術化 | 脱魔術化 |
この図について説明していきます。
儒教は人間罪の子の意識が有りません。性悪説はあるものの、それは罪を意味しているものではありません。人間罪の子の意識がないので、人間の「当たり前」を肯定します。この「当たり前」とは例えば家族、伝統、慣習等を意味します。これは現状を良いものとして認識する事に繋がりますし、その結果、受動的になります。また、古来からの儀式や祭儀を大事にする事にも繋がるので魔術化のままです。
そして儒教における「罪」の概念は伝統的な手続きや儀礼を守らず、秩序と調和を破る事に該当するので外面的な事柄が大切になるのです。
(例えば手紙の決まり文句などです。本当にそう思っているかどうかは関係なく、その形式が重要になります。)
一方ではピュウリタニズムはどうでしょうか。
まずキリスト教徒全体として原罪の思想が有ります。人間の本性の否定をする事になるので家族などの慣習は絶対的なものとなりません。そして人間の罪を乗り越えるためにはどうしたら良いか、と考え、結果として神の理想に生きる事である、という思想に至ります。(この辺は「予定説」と「天職」の融合した過程に似ていますね。)
神の理想に生きる事が第一条件となるので、「父母よりも神を愛せ」という事に繋がり、能動的になるという訳です。
また、プロテスタントの成立はカトリックの形式化、形骸化した儀式や信仰以外の行為に反発して『聖書』のみを拠り所にしようとした動きから始まったので、脱魔術化していますね。そして信仰のみを大切にする立場、つまり内面的な事を大切にするのです。
(つまり、手紙の決まり文句は本当に心の底から思っていないといけない訳です)
4.それぞれの展開
こうした事から儒教とピュウリタニズム、それぞれどう展開していくでしょうか。
儒教の自己修養の最終目標は「君子」です。(ちなみにウェーバーは君子をジェントルマンと訳しています。)
ただしそれは主に官僚や皇帝などの上層、知識層を中心に浸透したとして、民衆は道教や仏教などの影響も強く脱魔術化はしなかったとしました。
また、人間完成のために富は必要なものとしてみなされるものの、それはオプティミズムに基づく合理化であり、それはあくまで現世的生活を向上させるための手段とみなされました。
加えて外面的な事柄を大切にし、内面的な事柄にまでは影響を及ぼさなかったのです。
ピュウリタニズムは違います。罪の意識から現世を聖なる世界へと造り変えさなくてはならず、そのためにビジネスライク的な合理化が行われるのです。そしてその行動原理は決して外面的な事柄ではなく、内面的、人々の動機、主観的な意味なのです。
5.模範預言と使命預言
さて、いよいよ「何故資本主義が西洋にのみ発生したのか」についてまとめます。
ウェーバーは預言という概念を持ち出してきて、模範預言と使命預言というものがあると説きます。
模範預言とは、救済へ辿り着く有り方の模範を身をもって示すような預言の事です。
イメージ的には儒教では君子、仏教では悟りの境地、道教では無為自然などを思い描いてくだされば結構です。この救済は個人的であり、恍惚的な、そして神秘的な心境です。
特徴としてはそれはあくまで指針であり、罰せられるものではないという事です。
それから自己を神性の器と考えます。神概念は非人格的であり、天。梵我一如の梵。道などに相当します。
逆に使命預言とは神の名において、もちろん倫理的な、そしてしばしば行動的・禁欲的な性格の要求を現世に突きつけるような預言を指しています。
それは「悔い改めよ」の思想であり、神の意志に従うか否かの決断を人々に迫ってくるものです。
この使命預言は自己を神性の容器ではなく、神の道具と見なす事になります。神概念は現世を超越する人格的な、怒り、赦し、愛し、求め、罰するような創造主という神概念と親和性を持っています。
この使命預言は現世で人々を積極的な行動へと駆り立てる役割を果たしたとしたのです。ここから『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』へと繋がっていきます。
そしてこの使命予言は世界史の中でイスラエルからしか生まれなかったとウェーバーはしたのです。ここに「何故西洋に資本主義が発生したのか」という問いに答えが出た事になります。
5.まとめ
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』において「予定説」と「天職」の概念が関係している、という考え方は分かりやすいと思います。
しかし、今回はそれをもう一段階深めてみました。(その分、複雑で難しくなりましたが……)
『宗教社会学論選』にはここでまとめきれなかった論点がまだまだ有ります。
マックス・ウェーバーに対して知的好奇心が湧いた方はぜひ『宗教社会学論選』を読んでみてください。